土屋悠太郎 ~タイ・ランナー舞踊の名刺web~

バンコク在住。タイ北部ランナー地方の芸能を継承する子連れタイ舞踊家のブログ

 
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モンスーン太鼓制作記

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いざ材料を取りに竹林へ!!
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かなり記録すっとばして塗り塗りしています。
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恩師モンコン先生がご指導くださっています。
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筒、大詰めです。
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ここでしくじると革が無駄になります!…1枚やっちゃいました。。
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縄を狭い穴に通す、通す。
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モンコン先生の師匠パン先生は人間国宝です。出来上がった太鼓を見ていただく。
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「良い出来だ」と褒められ、打ち方の指導もしていただき感激の図。
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生徒たちにフォンジューンを教えるモンコン先生。奥に見えるマイ太鼓が輝いて見えます(笑)

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ショーの風景@THAILAND2009・2010

タイのお祭りで踊った写真です。雰囲気が伝わりますか?
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こちらはチェンマイにある大型スーパー「ロビンソン」の特別展示場でのパフォーマンスです。
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僕が踊りを教えた男の子の初舞台。
自分の最初のショーも、先生の息子さんが向き合い踊ってくれました。
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みんなでショーを楽しんでいます☆
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お寺で、様々なスタイルの大太鼓の演奏を奉納する特別な日。
先生のはからいで一人フォンダープの奉納を行いました。
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小学校に寄付をしてる日本の慈善団体を招く歓迎会にて踊る。
タイで、日本人を前にしてショーをする不可思議な構図!
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奥に座っている方々はみな日本人です。
子どもたちにカレーをふるまったり、とても温かな交流をされていました。
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夜のお寺で奉納舞踊。
飛び入りしたので実はTシャツ(笑)
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したいことの一つの形

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ドゥアン・プラティープ財団という名前を聞いたことがありますか?
タイではとても有名な、スラム地区を対象とした教育事業、コミュニティ開発事業を行う非営利の財団です。

団体のはじまりは、プラティープさんという女性が、スラム地区の子どもたちに教育の機会を与えたいと「1日1バーツ学校」という取り組みを始めたのがきっかけです。

「なぜ1バーツ?無料じゃないの?」と思いますよね。
それは1バーツでもお金を支払うことで「親が子どもにきちんと関心を持つ」意識づけを大切にされたからだそうです。
なるほど、関心を持つって愛情の基本ともいいます。


実はタイへ留学していた学生時代、ドゥアン・プラティープ財団を見学しに行きました。
その時、この「はじまりのストーリー」と多岐にわたる取り組みに大変関心を持ったのを覚えています。


時は流れ、ひょんなご縁から先日、この財団でお仕事を長年されてきた方(日本人)と出会うことができました。
帰国されたばかりでお忙しいところ、お仕事の様子や子どもたちと接する中で感じてきたことなど、貴重な体験談を聞かせて頂きました。

―そこでひとつ記憶が蘇りました。
ドゥアン・プラティープ財団の事業のひとつ『おはなしキャラバン』は、小学校の子どもたちに「お芝居で教育のお手伝いをする」というもので、この取り組みを見たとき、自分のしたいことの一つの形を見た気がしました。

タイ舞踊も活かして、こういう活動を仙台で始めてみようかなぁと妄想しています。
タイの子どもたちの未来に光を当てるお手伝いも、いつかはできるようになりたいな。

きみのためにできること

まだ実家に住んでいた去年の夏、母からボランティアの手伝いを頼まれました。
『2010年度 ユネスコ・サマースクール』、子どもたちがお寺で行う座禅体験のお手伝いでした。

「いまの子どもは何話すんだろう?」と不安に思ったのもつかの間、ワンピースの話題で意気投合。
週刊少年ジャンプを読んできた成果がこんなところで発揮されました☆
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↓『大泉寺コム』の記事
◎当日の様子1 …やたら姿勢のいい後ろ姿は僕
◎当日の様子2 …朝食時、談笑中の写真

凛とした本堂で姿勢を正す「座禅体験」。
言うことをきかない子どもがお坊さんに「叱られる」。
怖い話を聞いてから開催する「肝だめし」。

どれもこれも、お寺という特別な空間での貴重な経験。
色々準備する指導員側にいると、子どもの気持ちも大人の気持ちもよく分かり、
「僕も大人になったなー」なんてしみじみ思ったりして(笑)

肝だめしでは、お墓の陰に隠れて待ち伏せし、子どもたちを驚かせます。
大人たちは降り続ける雨に打たれつつ、子どもたちに「バカヤロ~」と罵詈雑言を浴びながら、
健気に幽霊役を演じ続けるのでした。
そのありがたさにいつか彼らも気付く日が来るのでしょう(*^_^*)
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さて、今日の夜、その時にお会いした沼津ユネスコ協会の方からお電話がありました。
新天地での励ましと共に、タイ舞踊フォンジューンの「カウンセリング効果」についてご教授賜りました。
その道のプロの方の視点による新たな可能性に嬉しくなりました。

以前、福祉作業所で働いていた頃、体に障害を抱える方々がヨガ体操を楽しんでいるのを見て
『体を動かして一緒に楽しむ運動法』に関心を持ちました。
その後、高齢者施設で働きだしてから「タイ舞踊を体操として教えたいなぁ」とか、
「タイの芸能を交流するきっかけにできないかなー」と常々考えてきました。

数年前に漠然と考えていたことが、今は「できること」に変わったのは少し自信です。

これから地域社会で何を貢献し、どんな喜びを広めていけるかが問われています。
この仙台の街で、自分に出来ることを少しずつ実現し、形にしていきたいと思います。


※本日のタイトルは、村山由佳さんの小説から。

サワッディークラップ!

本当は4月から1ヶ月間の修行に行くはずだったタイでしたが、
あの震災のため叶わずに今まで過ごしてきました。

ですが、、、行ってきましたーーーー!!!!
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ワット・ポーの大仏、ドーーーン!!!


今回は、先の震災で心配してくださったタイの恩人方に無事を知らせるためと、
結婚のご報告として妻を紹介しに行くための旅行でした。
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修行でなく観光もかねたタイ旅行は学生以来9年ぶり!
食事もお祈りも、ちょっとはしゃいできました(笑)

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遠くを眺める時は古代ランナー人のポーズで。

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タイ、ビルマ、ラオスの国境がメコン川で接する地点、
『ゴールデン・トライアングル』を望む。

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ちょびっと立ち寄ったラオスの村では、大蛇を漬けた酒をいただく。

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元・京都精華大学教授で、現在チェンラーイ在住の先生宅へ突撃訪問。

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チェンマイへの復路は先生の愛車ベンツで送っていただきました、ありがとうございました!


それからメーリム在住、ニック先生とウィさんのお宅へご挨拶。
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ニック先生は舞踊、演奏、画家どれも一流の芸術家です。
2人はおしどり夫婦で、僕は修行中「結婚ていいなぁ」と何度も思いました(笑)


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そして、なんとこの日はピン川が洪水のため、宿泊予定の宿は入口まで水が迫る!
結局、夜には腰までつかる水位となり、この宿はキャンセルする羽目になりました。。

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乗合バス(ソンテウ)から見た光景。(夜はさらに混乱状態)

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学生時代とてもお世話になった友人のお母さん・メーにもご挨拶。
とても優しくて、タイでの母親的存在!

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その後、翌日会う約束をしていた恩師、モンコン先生と偶然の再会を果たす。
笑いあって話していたら急に涙が出てきて泣いてしまいました。。。

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次の日、さっそく先生宅でワイ・クルーを行う(師の連なりに祈りを捧げる儀式)。
その後は先生が作った太鼓を手渡され、僕のために急に指導が始まりました。

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息子さんと教え子さんも交じっての練習風景。
ただただ楽しく、嬉しい♪

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帰国の前夜、大切な友達(メーの娘)ともバンコクで再会できました。
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―日本に帰ったら、疲れなのか熱が出たのか、少しポケーとしてしまいました。

タイには僕の大好きな人や居場所、学びたいものがあるけども、
タイの芸能で僕がしたいことや喜ばせたい人々は日本にいます。

目の前のことを一生懸命に、1人でも多く笑顔にできるよう、今を一歩一歩がんばります。
みんな見守っていてください。サワッディークラップ!




自身の歩みを語る

cafe anbienにて、初のトークイベントを行いました。
anbien企画『旅会』<海外の写真を皆で楽しもう~タイ編~>


☆この日の感想をanbienさんのブログに書いていただきました。
 どうぞご覧ください!こちら→anbien blog

美味しいお食事をいただきながら、自身のタイ修行写真を初公開!
さらにタイ留学~大学卒業~有機農業~東京活動期を含めて、土屋ヒストリーをお話しました。
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↑2002年タイ留学時。チェンマイで開催された国体の開会式にて、家族、仲間に見守られて踊った。
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↑大学卒業1年目。表現活動の一環として選択した、三重県伊賀上野での有機農業研修生時代。
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↑2009年タイ再修行の帰国後、お芝居とタイ舞踊を活かした取り組みに参加。福島、香川、群馬3県で興行。
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↑福祉・タイ・役者、自分の歩みを活かしたお仕事でした。東京にいる彼らとは今でも協働します。

自分の半生を語るようで緊張しましたが、参加者の方々に楽しんでいただけたようでホッとしました(*^_^*)
このような貴重な機会をいただき、どうもありがとうございました♪

2012タイ修行の記録 その1

今回は、成田空港から韓国を経由して、チェンマイに向かう便に乗りました。
その空の上で書いた「志し」をここにも綴りたいと思います。

【4月7日MEMO】
震災の後、皆1人1人が自分なりの使命感を持って生きていた。
生活・仕事・ボランティア・・・etc
あの時、人は出来不出来カンケーなく一生懸命タガタメに行動していた。

使命感には正しい道を推進させる力がある。

今回二週間の旅程の中で、自分の使命を感じるようなことにアンテナをはっておこう。
そこに集中して力を注ぐ。                 
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(韓国インチョン空港にて、夕焼けを望む)

その2 修行、芸能との向き合い方

ダウンジャケットを着て仙台を出発し、とっても暑いタイ・チェンマイへ。
3~4日間で諸用事を済ませた後、さっそく師匠のもとを訪ねました。

僕の修行の仕方は、先生のお宅で「生活を共にして学ぶ」スタンスです。
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↑タイでは普通の暮らしの中で、木から果物を取って食べられます♪

こうした時間のなかで、ふと武術や芸能の技を伝授されたり、教えを受けたります。
師匠は「本当の学びは、生活を共にすることで伝えられる」と10年前から話していました。
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広がる大地を眺めながら、「ここにお前の家を建てたらいい」と師匠はよく言います。

タイ語で「師匠」のことを「ポー・クルー」といい、教え子はみな「ポー」と呼びます。
「ポー」は「父」という意味ですが、僕は本当のお父さんのように思って呼んでいます。
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↑これはお寺でショーをした時の様子をスケッチしたもの。
僕もフォンジューン(素手の舞い)とフォンダープ(刀踊り)の奉納を行いました。

師匠のもとには、連日、多くの子どもたちが学びにやってきます。
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↑大きなショーを終えた後、みんなで滝遊びに行った時の写真。
こうした日々の積み重ねから、芸能の精神や師匠の思いが受け継がれます。

信頼と絆とともに、師匠の側で学ばせていただき、本当に感謝しています。

その3 命名『シリ・モンコン・スカナ』

今回、この時期にタイ修行を決めたのは「ワイクルー」という行事のためでした。
タイの旧正月(新年)に、弟子は師匠のもとへ祈りを捧げに集まります。
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↑僕の師匠(ポー・クルー)モンコン先生のお宅。自作の太鼓がビッシリ!

チェンマイで大御所の師匠宅には、連日たくさんのお弟子さんたちがやってきます。
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↑お寺の舞踊グループによるワイクルーの様子。
供物を捧げ、先生から健やかな成長の祈りを賜る。

僕たちモンコン・ファミリーも「ワイクルー」に出発!
伝統楽器ティンボンで軽快なリズムを打ち鳴らし、大師匠の元へ。
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ランナー文化伝承におけるタイ人間国宝のパン先生、カム先生にご挨拶。
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↑パン先生との出会いも10年前。僕は「タロー」と呼ばれています。

そして、僕個人のワイクルーは4月19日に行いました。僕の誕生日です。
師匠はこの日、僕に新しい名前を授けてくれました。
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「土屋悠太郎」=「シリ・モンコン・スカナ」
この名は、師匠が昔ムエタイの試合で使っていた大事なリングネームであり、
500年以上前に実在した高僧の名から付けられた、ありがたい名前です。
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「師匠から受け継いだランナー文化と芸能をもっと大事に伝えたい」
「誕生日に授かった新しい名前と共に、日本でできることを精一杯実践していこう」

そう決心した今回のタイ修行の旅でした。
(2012タイ修行の記録-完-)

年輪を重ねて生きる

三重県伊賀市の白樫、島ヶ原、奈良県月ヶ瀬に行ってきました。
大学卒業後に1年間の有機農業研修生として過ごし、お世話になった農家さん方に妻とご挨拶へ。
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「ひげのおっちゃん」こと、田嶋さんの畑にて。通りかかった法華のおばちゃんも一緒にパチリ☆
田嶋さんと志津江さんの人間味溢れる愛情と人間臭さ、僕は当時から大・大・大好きでした。
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また、今では実家にお野菜を届けてくださっている、笑顔の岩間さん夫妻の畑にもお邪魔しました。
写真を恥ずかしがる佳江さんのため、旦那さんと3人で再会の腕のショット!
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仲間と共同生活していた12畳のプレハブ小屋も健在。
寒さの厳しいこの辺り、夜中に凍死しそうになったのも、今では笑える思い出です(笑)
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茶刈りシーズンで忙しい月ヶ瀬健康茶園のみなさん!今ではここで働く同級生どぅさん(後列左)も。
現当主の文明さん(左)からは、年の近い先輩として大事な教えをいっぱい受けてきました。
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夜は田嶋さんのお宅で、呑みながら語り合う懐かしい時間の過ごし方♪
さらに大阪から駆けつけてくれた、まっちゃん・せっちゃんによる生歌コンサートで贅沢な夜。
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研修生時代のマスコットキャラクター、愛犬・菜菜も元気。ちょっと年取ったねぇ。

有機農業、農的暮らし、生きざま、人の温かさ…色んなものを教わって育まれたこの大地。
僕の心や信念をいつも応援し支えてくれるここでの記憶、皆さんにはずっと感謝し続けています。

人はたくさんの年輪を重ねて今を生きる、表現にもそれが滲み出てこそだな~と改めて思いました。

農業研修中の記録

先日の三重訪問時、田嶋さんが書き続けている週刊紙『我が良き友へ』を閲覧!
これは、有機野菜のお届け先に配っている手作りの田畑情報新聞です。
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2004~05年の新聞には、僕も直筆で研修生便りを書いていました。懐かしい。
ちょっとだけ当時の写真を記録代わりに載せます。
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お手伝いに来てくれた学生さんたちと作業中の私。
農家スタイルがバッチリ決まってますね~(笑)
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地元の農家さんたち皆で力を合わせ、大きな小屋を土台から建てました。
数か月かけて立派な建物が完成し、今も三重の朝市で活躍しています♪
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援農に駆けつけてくれた、たくさんの友人たちと一緒に食べるご飯がうまかった!
自分たちが作ったものを収穫し、食べてもらう喜びも知りました。
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屋台あり、ステージあり、皆で農作業の労をねぎらう秋の収穫祭。
ラストは来場者みんなで手を繋ぎ輪になって踊った、これが僕の理想とするダンスです。
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そして、有機農業研修の旅立ちを前にしての研修生便り。



1年後、お世話になった農家さんのひとりが病気で先が長くないという連絡がありました。
「死ぬ前に祭りがしたい」というその方の望みを叶えるため、皆が集って祭りを開催しました。
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研修生仲間の3人で創作、演じたハイブリッド紙芝居の原型『ウサギの願いごと』。
アフリカのブルキナファソという小さな国の民話をもとに作った作品でした。
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そして力いっぱいタイ舞踊フォンダープも踊らせていただきました。
いつも優しいその方に良くしてもらった思い出が蘇り、終演後は抱きついてご挨拶。
数カ月後に静かに亡くなられましたが、その方のスピリットは受け取っている気がします。

上條晴夫先生との出会い〜自分史のヒント〜

ジャーーーン!!!これはタイ料理店サバイサバイのBコースメニュー、豪華♪
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仙台初日の夜、素敵な出会いがありました。
東北福祉大学の先生で、教育書籍の作家である上條晴夫先生とお食事しました。
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先生は、平田オリザさんを取材して発信するなど、知る人ぞ知る教育界の有名人です。
タイが大好きな上條先生と、日本の教育やタイ文化についてお話する時間は大変刺激的でした。

そして、上條先生が僕の体験談をもとに素晴らしい記事をFBに投稿してくださいました。
この文章を読み、自分のことながらハッと気づかされることもあり、感謝しています。

出会いを演出してくださったタイ料理店サバイサバイご主人の日向さん、ありがとうございました!
(以下は、上條先生によるご紹介文です)





昨夜は仙台サバイ・サバイのご主人の引き合わせで、タイ舞踊家の土屋悠太郎さん(31)と夕食をご一緒しました。土屋さんはタイのチェンマイで修行して、現在は、日本でタイ芸能ショーとワークショップの仕事をしています。イベント出演や中高校の授業・幼児施設・高齢者、障がい者福祉施設でのショー、文化紹介を行っています。

土屋さんが最初にタイ舞踊と出会うのは京都精華大学人文学部環境社会学科の3回生のとき。卒業論文を書くためにフィールドワークとして半年間チェンマイに滞在します。土屋さんの卒業論文は「タイの伝統舞踊を身につけるプロセスを通して見えたこと」を論文としてまとめるというものでした。

そのタイ・チェンマイで土屋さんは運命の出会いをします。チェンマイ伝統舞踊の師匠モンコーン先生との出会いです。モンコーン先生は「人間国宝」の一番弟子です。土屋さんはそのモンコーン先生に見込まれ、半年間住み込みでタイ伝統舞踊を伝授されます。単に教わるだけではなく、芸能ショーにも出演させてもらいます。

土屋さんが修行した舞踊はタイ北部に伝わるフォンジューン。フォンジューンは「戦いの舞」という意味で、お祭りや行事の際に踊られて、厄を払い幸運を呼ぶ踊りとされています。わたしの目の前ですっと立ち上がると舞の動きを少し。その身体の動きにイッキに惹き込まれてしまいました。

タイでは踊りを奉納する際、踊りの神様とその神様に連なる踊りの師匠たちに祈りを捧げます。その修行は身体的にはたいへん厳しいものでしたが、教え方は祈りを捧げる神様に見守られるなか、いわゆる「ダメ出し」ではなく、「ポジ出し」(示唆)による指導法がとられるそうです。

その前提には、師匠が弟子をとる際、弟子の心根(Core)を見極め、踊りに対する本気度に応じて指導するということがあるようです。日本の民主的な「ダメ出し」指導法では、うっかりすると、人格否定にまで突き進む危うさがあります。「どう伝えるか」は指導の根幹に関わる大事な問題です。

師匠が弟子に伝えようとするのは技だけではありません。技に込められたあり方も伝えようとするんだと思います。学部3回生の土屋さんは、帰国後、タイ舞踊以外の表現者の道で揺れ動きます。しかし、いつもこの時の「あり方」の記憶が傍らにあって土屋さんを導き続けます。

土屋さんはフォンジューンの修行を「(先生が大事にしている者たちに)見守られつつ学ぶ」という言い方で表現していました。その言い方に土屋さんの誠実な人柄がにじみ出ていました。モンコーン先生がなぜ日本から来た21才の若者にフォンジューンを伝えようとしたか分かる気がしました。

誕生日に~自分史0~

今日は4月19日、僕の誕生日です。

となりの部屋には赤ん坊が寝息を立てています。
さっきまで眠くてぐずっていた彼を、太鼓のリズムであやして寝かしつけました。
連日の寝不足と心地よい疲れのなか、優しい気持ちでこの文章を書いています。

子どもが生まれて彼の未来を思うとともに僕自身の歩みにも想いを馳せます。
これまでたくさんの道を行き、多くの人と出会い、様々なことに挑戦してきました。
挫折や別れ、頭を悩ますことはその時々ありながら、自分らしい「今・ここ」にいると感じます。

僕にとって、人生に大きな影響を与えてくれた師匠は2人います。
ひとりは京都精華大学で学んだ槌田劭先生です。
槌田先生の思想や生き方からは、生きることを真剣に問う姿勢と眼差しを学びました。

そしてもうひとりは、2002年に運命的に出会ったタイ芸能の師匠・モンコン先生です。
チェンマイ大学留学中に出会い、息子のようにして自宅に招き入れ修行させてくれました。
その時受け取った大事な魂のバトンが、様々な道を経て、今の僕の仕事に繋がっています。

現在の僕は特定の組織や団体で働くのではなく、フリーで芸能のお仕事をしています。
震災後に協働してきたART REVIVAL CONNECTION TOHOKU(ARC>T)はアーティスト同士のネットワーク体ですし、日本フォンジューン協会は「体操を通した」ランナー文化紹介の協力関係です(→2014年2月脱会)。

先日、仙台で東北福祉大の上條先生とお話して【自分の物語】を記す大切さに至りました。
色んな道を経て今「タイ舞踊家」の僕だから、あまり説明できていないこれまでの歩みを、
32歳を迎え、少しずつ整理して書きだしていけたらいいなぁと思っています。

「大事の前の小事。」
新たな家族を得て、新たに道を築いていく上で、『自分の物語を書く』という所信表明でした。
(写真は、去年2012年4月19日。タイの師匠宅にて「シリ・モンコン」の名前を拝受。)
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おもらし騒動~自分史1~

今朝早く、坊やがおもらしをして布団が派手に濡れてしまいました。
生後一カ月の赤ん坊ですから、むしろおむつの付け方が悪かったのですが、
それに対して妻が必要以上に慌てて片づけているのを見て、思い出すことがありました。

2006-2007年にかけて、僕は心身障害者の福祉作業所で働いていました。
障害ある方々の作業補助と指導、全身麻痺の車椅子男性の生活介助が主なお仕事でした。
当時はタイ舞踊家ではなく、別の夢を追って1人東京に暮らしている頃でした。

その福祉作業所で働く方々は所長さんはじめ皆さん温かいハートの持ち主で、初めて福祉の現場で働いた僕にとって、その方々の仕事ぶりや人との接し方から教わることは大変深いものでした。

お仕事中は、おもらしどころか喧嘩や徘徊、情緒不安定や卒倒するなど、驚くことが日々起こります。
そういう時に、受け止める側がパニックにならず「大丈夫だよ」と言ってあげられる心づもりが、まず大事だったように思います。

障害を持つというのは、出来ないことも含めて個性というか、そこを受け入れて付き合うことになるので、いかに当り前のこととして受け止め、自然に向き合えるかが良い福祉士のように感じました。
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また、こんなことも思い出されます。
福祉作業所で働く前、ヘルパー2級の資格取得のため研修で訪れた特別養護老人ホームでの出来事です。
(ちなみに福祉の道を志していたわけではなく、もともと関心があって2005年に受講しました)

施設での業務見学や簡単なお手伝いをした後、寝たきりの老女のおむつ替えのお仕事が僕に与えられました。
事前の講習を受けてはいたものの、いざそれを必要としている人を前に、しかもお年寄りとはいえ異性のおむつを替えるのは初めてですし、感じ方はまったく違います。

僕は動揺しながら、「あーでもないこーでもない」とおむつ1つ替えるのにも大変手間取りました。
その後、研修生たちの振り返りで、この時の自身の感想を述べます。
「認知症が進んでいるとはいえ、見ず知らずの男性におむつを替えられるのは悲しいと感じたんじゃないかと思った」
このようなことを言ったと思いますが、振り返ると現場の人々を無視した発言でしたが、その時は率直な感想でした。

すると介護士さんが「じゃあどうすればいいと思いますか?認知症が進んでいても、たしかに異性におむつを替えられるのは嫌かもしれません。でもほっといたらもっと大変なことになるのはわかりますよね。大事なのは介護する側が相手を不快にさせないよう、当り前のこととして素早く処置できることじゃありませんか?」
というようなことを言われ、へ理屈で考えてた自分を恥ずかしく思ったものでした。

そう考えると、あの福祉作業所で働いた期間は、目の前の方々と自然体で向き合う姿を通して、人と関わる上で大事なことを学ばせてもらったなぁと、今朝のひと騒動から思い出されたのでした。

初めての赤ん坊と向き合うのはハラハラの連続ですが、そんな体験も生かしていきたいと思います。
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↑手作り缶バッチ屋さんで作った、坊っちゃん似顔絵バッチ…似てないな(笑)

泣きやまぬ坊~自分史2~

坊やがいつまでも泣きやまないとオロオロしています。
“おっぱい”という最大の武器を持たない世の男親はみなそうなのでしょうか・・・?

寝不足の僕らを気にもせず、早朝から泣き続ける彼を抱っこひもに入れてパソコンに向かうと、
今ではもうすやすやと眠り始めています(笑)

赤子は人の手がなければ生きられない、こんなにか弱い生物だということに驚いています。
こんな時期が自分にもあり、そこを助けてもらえたからこそ今があると、最近常々思います。

また、「泣く」という行為が本能的なものだということも彼を見ていて教えられます。
涙を流す泣き方もあれば、涙は出さずとも想いを伝えたくて泣いている時もある。

大人になってめったに泣かなくなりましたが、心のなかにはきっといつも涙はあるのでしょう。
この子の存在を通して思い返される、自分の子ども時代を今日は書きつづりたいと思います。
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僕は物心つく前から小児ぜんそく(気管支炎ぜんそく)で、ハードな運動をしたり風邪を引いたりすると、ヒューヒューと胸が鳴り、息苦しさで眠れないという生き苦しさを味わっていました。(体力が付き始める中学生の頃まで)

幼少期からお調子者でひょうきんな半面、人見知りで極端にプレッシャーに弱い子どもでした。
小学生のあいだ6年間通った剣道教室では、年に数回ある試合で毎回気分が悪くなり、開会式から母親の膝枕に逃げていた記憶があります。
中学で入部した卓球部では、スパルタな指導を受けて市内上位の実力をつけながら、大会ではお腹が痛くなるというジンクスにあがき続けました。。

そんな精神的な弱さを払拭したい思いから、高校では弓道部に入部。
「人と争うより自分と向き合おう!」という思いつきまでは良かったのですが、けっきょく「早気(はやけ)」という射癖にかかり、3年間苦しみます。。。
(※「はやけ」というのは、弓を引き切って一番気の充実してる状態の会(開)が持てず、一足早に手を離してしまうという、弓道経験者にとっておそろしいことこの上ない悪癖です。)

「的に当てたい」という気持ちが先行し、大事な射法や心構えがおろそかになって、当たるものも当たらなくなるジレンマの連続でした。
考えてみると自分の弱さと向き合えた貴重な時間でしたが、勝負に厳しい部活動だったので、結果を求められる狭間でずいぶん苦しみました。

けっきょく最後の大会は出られず、悔し涙を。
死に物狂いで引退までに早気を克服し、うれし涙を流しました。
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この経験から『基礎が大事』という人生訓を得ましたが、依然「自分が信じられない」課題は残り、この後もしばらく僕の人生目標と選択指針はこの部分に大きく占められていきます。

灰色だった神奈川県厚木市での学校生活から、修学旅行で彩り鮮やかに見えた京都への大学進学を選び、「ここしかない!」と思える京都精華大学を見つけて入学を決めました。~つづく~

お宮参り~自分史3~

坊やの誕生から1ヶ月を迎えて、大山阿夫利神社でお宮参りのご祈祷を受けてきました。

僕も七五三の時から参拝している神社で、大学進学前の期待と不安が入り混じる時期にも訪れました。
なんとその日は、ケーブルカーで降りる途中に山から鹿が現れ、不思議と勇気づけられたのを覚えています。
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僕が京都精華大学に魅力を感じたのは、高校3年生の夏。
オープンキャンパス期間に初めて大学に訪れて、槌田劭先生の「小ゼミ体験」に参加したのがきっかけです。

槌田先生の、生きることを真剣に問う姿勢とまなざしは、悩みの渦中にいた僕には強烈でした。
この時、「大学に入ったらこの先生のもとで学びたい」という強い憧れを抱きました。

奇遇なことに、僕は、先生がお歳のため大学を退任される前の最後のゼミ生となります。
大学4年間を通して、人生の指針を学んだ、生涯大切な僕の師です。
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さて、京都での一人暮らし&大学生活を始めるにあたって、大きな目標が2つありました。
1つ目は前回記事のとおり、『人間的成長』です。

体を鍛えるとかあれこれ考えましたが、けっきょく演劇部を自分修行の場と定めます。
自分とちがう誰かを演じて強い感情を表現するのは、僕には最もハードルの高い行為だと思ったからです。
これが表現活動のスタート地点です。


もう1つの目標は、『ほんとうの友達をつくる』ことです。
…これは当時の僕にとっては死活問題でした。
自分に自信が持てないと「自分らしく」在ることさえぎこちなく、心を開ける友はいませんでした。

その後、ありがたいことに人生を変えるほどの影響を受ける親友たちと出会います。
そして卒業後の進路は、その親友らと共に、この頃には予想だにしなかった道へと向かうことになります。
(それはまた別のお話で書きます。)


大学時代はこうした目的意識で過ごしていました。
そんななか、当時大学の特色だった【海外長期フィールドワーク生募集】の応募に目がとまります。

「自分にとって必要で、今しかできないことはなんだろう?」
それを考え続けてきた先に、タイに留学するという選択肢が浮かびます。

なぜタイか?どのようにして踊りの師匠と出会ったのか…。
お話の舞台はタイへと移ります。(…やっと笑)

原点回帰、有機の現場

大学卒業後、表現活動の一環として有機農業研修で1年間過ごした三重県伊賀市白樫。
今週も関西に出かける用事に合わせ、お世話になった農家さん達にご挨拶回りをしてきました。
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農作業をお手伝いするため、久しぶりの作業着を着るもまったくサマにならない。。。
僕も変わったのだ、シティーボーイ。
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髭のおっちゃんは、「わしが現役の内に後継者を育てたい」と語っていた。
自分はその思いに応えられなかったけど、ここでの矛盾のない生活の魅力は知っています。
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もしご興味のある方、三重県伊賀市島ヶ原では有機農業就農者を絶賛歓迎中です!!!
田んぼ、畑、家、そしてあたたかい協力者がここにはいます。本気の方ご連絡ください(^^)/
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この夜は、変わらぬおっちゃんの説教と奥さんの野菜たっぷり料理をいただきました。
ここに生きる選択肢もあったけど、旅立った僕はちゃんと歩めているかを問われた夜でした。
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翌日、茶刈りシーズンで忙しい月ヶ瀬健康茶園にて有機無農薬茶の茶刈り等お手伝い。
今では学生時代の友人どぅさんも働いている、縁深い場所です。
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ここは自家工場で製茶までする真に旨いお茶屋さんで、茶作りを通した生き様や考え方からは多くのことを学ばせていただいてきました。また、当時僕も植えた茶木が立派に生育してる姿は見るたび嬉しい。
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大切な時間を過ごした場所で今も力強く生きる方々から、明日を生きる喝と価値ある宿題を頂きました。
その問いを大事に考えて解いていき、新しいステージに立つ今を自覚して歩みたいと思います。感謝。
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↑今回の旅の目的、母校・京都精華大学での会議に出席してきました。(写真はキャンパス)
大学へ向かう途中、暗黒舞踏の三上賀代先生とばったり再会し、学生たちのタイ留学の話しについて少し伺いました。「いつか自分も関われたらいいな~」そんなことを思いながら東京の我が家へと帰宅しました。

1から成長~自分史4~

坊やの声の出し方が色々ふえてきたな~と喜んでいたら、表情も豊かになってきました。
よく笑い、思わずこっちまでふにゃ~と笑ってしまうのだから赤子はすごい!
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彼も毎日あたらしいことに出会い、発見し、変化しているのでしょう。

さて、大学2年生の秋、タイ留学を決めたのは「今しかできないことをしよう」と思い立ったからでした。
当時は演劇活動に励んでいて、学外でセミプロの社会人劇団に参加したりもしていました。
ぼんやりと「この先にプロの世界があるのだろうか…」などと憧れを胸に抱きはじめていた頃でした。
京都精華大学の特色の1つだった【長期海外フィールドワーク生募集】の応募に目がとまります。

タイに魅かれた理由は、テレビや写真などで目にしてきた生活者のタフさや命の輝きを、この目で見て、感じて、自分も身につけたいと思ったからでした。
演劇活動や大学生活を通じての成長だけでは変えきれない自分の芯を変えるには、言葉も常識も分からない国で、赤ちゃんのように1から出会い、発見し、変化する体験が僕には必要かもしれないと考えました。

留学するためには自分の関心あるテーマを設定し、帰国前に論文を提出する義務があります。
僕は演劇という表現をしていたので、タイでも表現に関わろうとは思っていましたが、文化についてはよく知らず、とりあえずの「タイ舞踊」でした。
ひょんなきっかけで、タイ留学の先輩から「男性の刀踊りっていうのもあったよ~」と教えてもらい剣舞フォンダープの存在を知り、カッコよさそうだしそれにしよう!と目標に定めたという…今思うと安直なテーマ設定でした。笑

研究法については、大学の先生に「資料を調べて論文にまとめる方法以外にも、自分が対象のコミュニティーに入り、伝統や風習、身につけた芸能の発表をもって論文にするやり方もある」と教わり、すぐに自分にぴったりだと思い、『踊り手になる』という研究タイトルにしました。
「これからタイで身につける技術は、僕がどこに行っても再現可能で、生きているかぎりその技術も共に生き続けるだろう」と予感し、意気込みました。

と、こういう心づもりで2002年21歳の夏、タイ国の地へと足を踏み入れ、チェンマイ大学に向かいます。
つづく
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先日、お世話になっている方が自分の道を行くために芸能の仕事を辞める決断をされたのを知りました。
素敵な魅力がある方だけに関われなくなって残念でもあり、また、きっとその方にとって自分らしい人生を歩んでいくために必要な選択をされたんだなぁ~と、応援したい気持ちになりました。ファイトー!!!

2002-2003年タイ留学、前編

久しぶりの自分史vol.5。2002-2003年のタイ留学について、前編。

―当時のことを振り返ると、走馬灯のようにたくさんの思い出が駆け巡って言語化が難しいなぁ。。
そんなことを思っていたら、留学メンバーの友人から懐かしい写真が届きました。
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2002年タイ留学中の写真で、山岳民族の村にホームステイするフィールド・トリップ(校外授業)時のもの。
自分の研究テーマ以外にも、定期的にこうしたタイ文化を体験するプログラムがありました。
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勉強中のフォンジューンを村人に見せているところ。
言葉は通じなくても、日本の数字を教えたり、村の言葉を教わったりして交流していました。
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日本とは暮らしも時間の流れもちがう社会を体験する中で、自分の価値観は広げられていきました。

物に頼らず自然と共に生きる智恵やたくましさを、タイに住まう多くの方々と共に過ごし、見せていただくことができました。これは、僕がタイ留学に求めた「人のたくましさ」や「生命力」を感じる瞬間でもありました。
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↑後半、僕の髪型はタイ人カット(笑) 仲間たちと共に、どこかの屋台で食べている様子。

チェンライやメーリム、泰緬鉄道見学、ラオスまでメコン川下り(沿岸2泊)などなど、留学期間中に数多くのフィールド・トリップの貴重な体験を通して、日本とタイの関係や歴史についても学ぶことができました。

当時コーディネーターをされていた濱口愛さんや、先生方には今でも本当に感謝しています。





<おまけ>僕が持ってる当時の他の写真。
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飾り気ない笑顔とふるまいで相手をしてくれた、おじさんと子どもたち。
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宿泊宅の働き者で勉強熱心な青年。大学に行く夢が叶ってたらいいなぁ。
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村を案内してくれたり一緒に遊んでくれた、元気な子どもたち。
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タイでは歓迎の意や旅立ちの幸運を願って、白い糸を腕に巻いてあげる風習があります。
お別れの朝、山岳民族の村でお世話になったおっちゃんにサイ・シン(糸)を巻いてもらいました。

~中編につづく~

2002-2003年タイ留学、中編

タイでの生活にも少し慣れ始めた9月頃、自分の研究テーマに取り組み始めました。

最初にコーディネーターの愛さんにご紹介いただいたのはフォンジューン舞踊家のセーブ先生でした。当時、新進気鋭の舞踊家としてチェンマイで活躍されていた方で、のちにフォンジューン体操を作られたのもこの方です。

写真は、セーブ先生の兄弟弟子のピー・ニック(ニックさん)にフォンジューンの基礎を教わっているところ。
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ニックさんは僕たちフィールドワーク生をフォローしてくれたチェンマイ大学の芸術学部生で、頼れるお兄さんでもありました。まさか7年後、ニックさんの家に住み込みで2カ月間の修行をさせていただくことになるとは。繋がっていくご縁というのは、あらためて不可思議で有難いものだと思います。
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チェンマイのナイトバザール。ここで、運命的な出会いをします。

奥まったスペースからかすかに音楽が聞こえてきて、直感的に「タイ舞踊だ」とそちらに向かいました。そこで踊っていたのは練習中の学生さんたち。タイ語がまだうまく話せないにもかかわらず話しかけると、彼女たちは国立舞踊専門学校ナタシンの生徒だということで、踊り手を目指す若者へのインタビューを試みるも通じず。
「どうしたの?」と引率の女性の先生がやってきました。偶然その日一緒だったタイ人の友人が「この日本人はタイ舞踊に興味を持って、今フォンジューンを勉強しています」と説明してくれました。「それなら良い先生がいるから紹介してあげるわ」と、次回待ち合わす日取りを決めて別れました。 

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約束の日に現れたのは、僕の師匠となるポー・クルー・モンコン(モンコン先生)。本当はモンコン先生の師匠(のちに人間国宝になられた)パン先生が来る予定だったそうですが、体調不良のため代打で来てくださいました。先生は鋭い眼、隙のない威圧感、鍛えられた身体で怖い印象を持ちましたが、「それはユウタローがどんな人間かを見ていたからだろう」と後日笑って話してくれました。
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↑息子のガンくんと弟のエム。今ではチェンマイで有名な先生として活躍しています。

正式に弟子入りが決まったのは、先生たちが軍隊の兵士さんたちにムエタイの踊り(ラム・ワイ・クルー)を教えに行くのを同行した日のことでした。僕は兵隊さんたちの後ろで一緒に身体を動かして練習していました。その後、屋台へ食事に行き、先生が言いました。「ユウタロー、実は今日はお前を教えるかチェックしていた。お前は合格だ」おそらくいい加減な気持ちじゃなくここにいるというのが伝わったんだと思いますが、まさかそんな見られ方をしていたとは思ってもおらず、ホッとしました。こうして、いつも一緒に行動していた先生と息子さんたちの3人に僕も混ぜてもらい、様々な場所に出かけて行くようになります。
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国立舞踊学校ナタシンのお面を祭る祭壇。モンコン先生は仮面舞踊劇コーンのスペシャリストであり、この学校で教える先生でした。僕も正式に踊りを学ぶ上で、仏陀、表現の神さま、先人の霊、精霊へと祈りを捧げてもらいました。供え物は蓮の花、線香とロウソクと果物。先生が僕のために異国の神に祈りを捧げてくれている様子に、背筋が伸びる思いがしました。
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日常の風景。子どもたちと接する先生の背中はとても大きく格好良く、こういう人になりたいな~と漠然と思い始めていました。先生のフォンジューン、フォンダープの考え方はハッキリしていて、先人から伝わる大切な技術、芸能を正しい形で継承すべきというものでした。セーブ先生やニックさんの舞踊は、モダンでより美しさを追求したものでした。その狭間の価値観にずいぶんと悩みましたが、根本にあるものを外すな、ということと、クラシックの歴史的真価を伝えてくれていました。
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舞踊学校に通う子どもたちと日常をともにするなかで、友達になっていきました。
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衣装に身を包み、晴れ舞台に出かける彼らの舞台裏を見ることができたのも良い経験でした。
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そしてもう1つ。モンコン先生が力を入れていたのが、お寺に集まる子どもたちに伝統芸能を教えることでした。家が貧しくても、お坊さんに見守られながら、等しく芸能文化を楽しむ機会を与える活動は理想的だと思いました。
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子どもたちに混じって僕もたくさん練習しました。先生は教えに行った先々で毎回、お坊さんや子どもたち、その地域に住まう方々の前で僕を踊らせました。外国人である僕が、その人々の文化である芸能を舞って見せるというのは、とても勇気と覚悟がいることでした。しかし、こうした実践を積むことが1番の練習になりました。
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その時、モンコン先生が必ず言うことがありました。「みなさん、彼は日本人でタイ語もよく話せませんが、こうして上手に踊ることができます。踊りが本当に好きなら、国や人種は関係なく、一緒に踊ることができるようになるんです」僕はそのたび照れながらも、とても誇らしい気持ちになりました。
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先生は車で移動中によく言いました。「いいか、ユウタロー。昔はこうして生徒は先生と行動を共にして、一緒に暮らす中で芸を学んだんだ。レッスンを受けている時間で学ぶことはわずかでしかない。お前は今本物の勉強をしてるんだぞ」
ニヤリと笑って、また鼻歌を歌いながら運転する先生は、僕のヒーローになっていきました。

 (自分史vol.6)

~後編につづく~

新たな創作表現を目指して

京都2~3日目は、古い友人で一生涯の表現仲間、荒木喜勇氏(紙芝居師らっきょむ)と時を過ごしました。
彼とは前回の即席公演以来で、今回は2人の新作に向けた創作時間に当てました。

創作といっても、たわいない話題から彼とだから話せることまでをあてどなく語り、
徐々に僕らの新しい表現の形を模索するという豊かでのんびりした時間でした。

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僕には、学生時代に出会った人生を変えるほどの影響を与えてくれた友人が2人います。

1人は先述の荒木氏です。僕たち3人は、表現集団ガイショー企画を在学中に結成しました。
卒業後は、有機農業の現場で田畑を耕しながら、表現活動を行いました。

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1年間の共同生活、個性豊かな有機農家の方々との交流、食べ物を自分たちで作る暮らしから
多くの刺激と学びを得たのち、それぞれが見出した夢の道へと旅立ちました。

そして今回、共に過ごした時の先にある今を確認し、新たな未来を共に紡ごうと話しました。

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年々日々変わり続けるこもごもの中で、その都度何を大事と見出すか。

母校・京都精華大学での授業と表現仲間・荒木氏との創作過程を通し、
歩んだ道が整理補強されて、新旧ビジョンも新たまりました。

またやってける、この感覚を大事に、また捉われることなく日常に生きたいと思います。

2014新年のご挨拶

あけましておめでとうございます!

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東京に暮らしながら、東北にも時折足を延ばして

子どもたちにタイ芸能ショーを届けたり

舞踊教室を開いたりしています。

また去年4月には男の子を家族に迎え

新米パパとしてもがんばっています。

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本年は子育てに力を注ぎながら

自分らしい活動を

広げていきたいと考えています。

またお会いできる日を楽しみにしつつ

皆さまのご多幸をお祈りいたします。

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タイ舞踊家・パフォーマー 土屋悠太郎 拝

舞踊家のアイデンティティー

チェンマイではモンコン・シエンチャーリー師匠のもとで修行することが目的でしたが、その前にまずニックさん&ウィさんご夫妻のもとを訪れました。5年前タイで芸能修行を再スタートした時、2ヶ月間住み込みでお世話になった恩人です。

(当時の様子は以前書いた→超!エンタメ教育評論のメルマガ記事をご覧ください。)
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北タイのランナー文化と一言でいっても色々なスタイルや考え方があります。ニックさんは伝統的な型をベースに独自の舞踊スタイルに発展させ、その美しい踊りが評価されている芸術家です。
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日本を飛び出して「自分のやるべきことはこれだ!」と猛練習の日々を過ごした場所。
自然豊かなニックさん宅であの頃を振り返り、これからについても思い馳せました。
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同居するお爺さんと近所に住む叔母さんにも当時大変良くしてもらいました。
僕が大好物だった懐かしの手料理を今回もたくさんごちそうになりました。
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ニックさんは舞踊、音楽、絵画のお仕事で生計を立て活動されています。その仕事に同行するなかで見る淡々と芸術家として働く姿は、日本で活動する僕にとっても刺激と励みになりました。尊敬するアーティストであり、ご夫妻はタイでの兄姉のような存在です。
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今回は久しぶりに稽古をつけてもらったり、2人に「お前の信じる道を行け」と応援してもらったり、会いに行けて本当に良かったです。

別れ際ニックさんから「これ以上を教えるためにはグループの一員になる特別な儀式を行わなくてはならない」と言われました。その言葉は今まで単に「タイ舞踊家」とくくっていた自分が、より「何者なのか」を問われているように感じました。師匠と会う前にこの問いを与えられたことは大変意味のあることでした。この翌日、師匠宅での修行に入ります。

モンコン師匠に授かった教えをもとに

師匠モンコン・シエンチャーリー先生のお宅での修行の日々について書きます。
ここはタイにおける我が家であり、12年前の学生時代から思い出がいっぱい詰まった場所です。
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来るたびに変化のある師匠宅。変わらないのはハンドメイドの太鼓が所狭しと並べられている所。
僕は祭壇のある部屋で寝起きします。毎朝6時頃に起床し、新しい知識や技術の練習をしました。
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師匠の長男ガンさんの娘ニッちゃんを囲み、温かい時間をたくさん過ごしました。
僕の息子と3カ月差なので日本にいる我が子を思って胸がキュンキュンすることしばしば(笑)
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左:次男エムくんも今では学校の先生。彼とはとても気が合い、お互い不慣れなタイ語・英語で深い話を語り合いました。
右:人間国宝パン先生。師匠モンコン・ファミリーはパン先生の流れを汲む正統なランナー文化の伝承者です。
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新築中の家を見回るため、師匠に付いて毎朝自転車で移動。
日本に「師匠」のいない僕にはこうして背中を追いかけるのは幸せな瞬間でもありました。
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お宅から建築現場まで木の植え替えを手伝いました。土を掘り、根っこから掘り出して運ぶ重労働。
こういう時に楽しめるのは農業経験があってこそ!経験は今に繋がってくるものだと妙に実感。
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作業を通しての話題や思い出したように授かる教えもあり、共に過ごす時間と体験は何物にも代えがたいもの。時間の切り売りでは決して教わることのできない貴重な学びがここにあります。
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↑師匠宅の木に生えた木の実「マッ」。固い繊維を食いちぎって噛み続け、黄色い汁の唾は吐き出します。古代のランナー人はこれで歯磨きをしつつ顎を鍛えたそうです。自分の学ぶ芸能の先人が口にしたならば、と張り切って噛み続けました。酸っぱい!
また、息抜きに馴染みの雑貨屋に遊びに行き、楽器の選び方を学んだり、お昼寝したり買い物したりもしました。
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今回、師匠は生きる上で大事なことについてよく語ってくれました。「空気、食べ物、気持ちが満たされないと幸せは得られない」そんなお話を聞いて、有機農業研修中に感じていたことや東京で夢を追って活動していた時期のことなどを思い出し、本当にそうだと思いました。芸能習得だけでなく、人生をどう生きたいか?をこの自然を見つめながら古代の教えに身を預けて考えました。
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毎日少しずつ建築作業が進んでいく家の基礎工事。「家作りと同じで何事も1ステップずつ、やるべきことをするのが大事だ」と基礎の大切さを話してくれます。僕の太鼓の新調作業でもその教えは繰り返し伝えられました。
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出会って12年。師匠は僕にとって先生であり、父であり、親友であり、バディであり、色んな存在となって教え導いてくれます。先日のニックさんの問い「お前は何者か」という答えは、やはり「モンコン・ファミリー」だと確信しました。僕の信じる芸能をこれからも1番大事に継承し、日本でも伝えていきたいと思います。また、僕の息子にも遊び相手となって教えてやり、いつかモンコン師匠に彼を教えてもらえたらいいなと夢見ています。
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朝焼けの田園風景を一緒に眺めながら師匠が言いました。「いいか、ユータロー。俺たちは教科書で物事を教えるわけじゃない。芸能、文化、芸術で人の生き方を教えるんだ。自然が芸術で、芸術は自然に根差す。俺たちも自然に即して生きていけばいい」まだ優しい光線を放つ太陽を見つめ、師匠の言葉を胸に刻みました。

帰国日のフライト直前まで教えを授けてくれた師匠。僕は息子と2~3年は育児込みで向き合って暮らすため、しばらく会えません。それを分かっているからか、見えなくなるまでガッツだぜ!というポーズをして見せてくれていました。僕もランナー芸能を通して授かった教えを生き方に反映し、これからを過ごしていきます。ありがとうございました。
Po kruu Mongkol, khop khun maak krap !

ベイビーとこれから

来月から仕事に復帰する妻に代わり、僕が息子の育児に取り組みます。
この1年間はどう自分の活動と折り合いをつけるか、たくさん考えてきました。

タイ舞踊家としての仕事や活動をしてきたなかで続けてきたいものは当然ありますが、育児に責任を持つということは身軽に動けなくなることでもあり、正直悩んだ部分もありました。
表現者として、これから始まる日々とどう向き合ったらよいか分からなかったがゆえだったと思います。


昔、僕にとって表現は自分を解放するためのものでした。
ある時期から、人を解放する手段にしたいと思い取り組んできました。

昔、表現の技術は厳しく高いものを求め、出来ない自分に凹んだりしました。
今では、「素直な気持ち」を人に届けられればよく、技術というより「どういう自分か」という意識の方が強いです。


子供の頃、育児は母親がするもので、父親は外に働きに出るものというイメージがありました。
しかし、大学選び、卒業後の進路選択、表現の道の旅路を通して「常識」から外れていく自分がいました。

育児と向き合うことになって思うのは、夫婦、家族の幸せの在り方はよく相談し選択していけば何通りもあるということです。
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僕は今、息子とガッツリ向き合う日々が楽しみです。

これまでの経験を通して素晴らしいと感じてきたことや身につけた技術を使って、彼とどう「遊ぶ」か、それらを彼にどう「伝える」かを思うとワクワクしてきます。

僕の32年の人生だけでも、その時々に色んな時期や役割がありました。
数年間「育児休職中のタイ舞踊家」となっても、息子の成長同様、僕は僕を磨き続けます。

人生で大事にしたいものを貫き、よりシンプルになって生きていく。

今回は育児に向けた宣誓を書いてみました。
これからのブログ記事もどうなっていくやら…楽しみでさえあります!笑


タイ舞踊家としての活動は、「どうしても出演したいショー」と「舞踊&楽器演奏の個人指導」については(家族の理解を得て)これからも続けていきます。お声がけください♪



2015新年のご挨拶

あけましておめでとうございます!


新年のお祝いを申し上げます。

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「子育てタイ舞踊家」生活にも慣れてきて

毎日楽しんで息子と過ごしています。


また、東北でのタイ芸能活動もおかげさまで

発表の場を広げております。

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日々の暮らしを大事にしながら、

今年は息子と舞台に立ってみたいと思います。


幸多い一年になるようお祈りしております。

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子育てタイ舞踊家・パフォーマー 土屋悠太郎 拝

有機農的暮らしの魅力体感ツアー!その1

僕の大事な故郷のひとつ、三重県島ヶ原と奈良県月ヶ瀬に行ってきました。

10年前、僕はこの地で有機農業の研修生として、様々な生き方の有機農家さんたちに育まれました。
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今回は、東京でできた芸能繋がりの心友を連れての帰郷です。

初日は大好きな「ひげのおっちゃん」こと、島ヶ原の田嶋さんのお宅へ。
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田嶋さんは、奥さんと愛犬・菜菜ちゃんと共に、自分のペースとライフスタイルを大事にしながら、有機栽培・無農薬で少量多品目のお野菜とお米を作り続けています。

年は取れど、大きな背中と深い人間愛は健在で、有機農に興味ある友に是非会わせたかった人の1人です。
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お届け野菜箱に同封する隔週発行の、にゅうすれたあ。しんぷるだけど、響く言葉がいくつも。

出荷日だったこの日、にんじんのヒゲ取りからお手伝い。田嶋さんは大胆、かつ繊細さが魅力!(笑)
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普段のお仕事現場を見学させてもらいながら、お仕事についての説明を受ける。

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ひと対ひと。ここの暮らしは本当に心地よかったです。

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種のポット植えを初体験の友に手ほどきしてくれました。


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平飼い養鶏の岩間さん夫妻にも会い、農場見学させていただきました。

このお二人はいつも笑顔。鶏の健康っぷりと卵の美味さに、丁寧なお仕事ぶりが現れています。
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田嶋さんは、長年の実践による智恵をぼやき話に織り交ぜて聞かせてくれます。

ここに来ると心がホッとなり、その人らしい表情が自然と出てくるのが素晴らしい。
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出荷作業が終わり、大阪へ発つ前に皆で記念撮影。


大学卒業後の進路の一歩目、僕はこの地で有機農業研修生になりました。

農家になりたかったわけではなく、仲間たちと表現活動を志し、青臭い夢を抱きながら田畑を耕していた。


心ある農家さんたちはそれを承知で、「(有機)農の現場から社会を見る目を持った若者を育てたい」と、研修終了まで、我が子のように接し、育ててくれました。

青年に負けないぐらい熱い、この地の有機農家さんたちのもとで研修生がやれて本当に良かった。


友人に有機農的暮らしの魅力を伝えるガイド役をしながら、当時をありありと思い出す旅になりました。

~その2へつづく~

有機農的暮らしの魅力体感ツアー!その2

三重県島ヶ原をあとにして向かったのは奈良県月ヶ瀬!
当時、三重と奈良の境目あたりで有機農業研修をしていました。

この月ヶ瀬には有機栽培のお茶農家、月ヶ瀬健康茶園があります。
ここも人生の指針になるような学びを毎回得てきた僕にとって大切な場所です。
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午前中は数多くある茶畑を案内してもらいました。ガイドは大学の同級生どぅさん!
タイの留学も一緒だったり、研修終了から数年後ここで働き始めるという、なんとも不思議なご縁のある友人。
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今回は当主の文明さん、ルナさんご夫妻は中国茶研修のため不在でしたが、普段から側にいるどぅさんは、月ヶ瀬健康茶園が大事にしている考え方やコンセプトなどを活き活きと語って聞かせてくれました。
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敷きつめた干し草が土に還り、ほかほかふわふわ~な茶畑の土。

「茶樹がその茶樹らしく育つ環境を整える」「自分の茶園だけでなく里山全体が良くなってく視点」など感銘の連続。
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10年前に僕も何百本と植えた茶樹が今では立派な茶園になっています。

この風景を見るたびに、自分も様々な出来事や経験を積み重ねてきた時の連なりを感じさせてくれます。
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午後は作業に参加して、原木椎茸の菌が宿る丸太を山の斜面に組みました。
現在月ヶ瀬健康茶園で研修中のコウヘイくんと息を合わせ、運びまくってミッション完了!
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10年ぶりの作業は懐かしく、色んな記憶が蘇りました。

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当時、この地で働きながら、生きてく上で大事にしたいことを徐々に体感するようになっていきました。

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自覚的な言葉になるまではそれからずいずん時間がかかったけど、ここでの学びと共に歩んでこれたことを今回あらためて誇らしく思いました。巡り逢えて良かった。
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先代当主、文祥さんと美代さん、スタッフの岡野くんと記念撮影。友にとっても大事な種となりますように。


・・・後日、友人どぅさんが写真に入ってなかったことに気づきました。ガチョーン(笑)

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頂戴した一冊、『日本茶の「回帰」大和高原に華開いた千二百年の“茶縁”』、読了。

月ヶ瀬健康茶園当主、岩田文明さんは「天才茶師」として多分に紹介されていました。
次回、文明さんとルナさんにお会いするのが楽しみです!

2015年ふりかえり②タイ舞踊家活動

2015年は日本6県をワークショップして回るお仕事から始まりました。
タイの芸能を通して、受講者が自分の身体のことや内面に気づき「今ここ」に意識を向ける(きっかけを作る)内容を目指しました。
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そして中盤。主宰するタイ芸能集団アロム・ランナーの活動に力を入れてきました。

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↑活動紹介リーフレット。グループ名は「ランナー気分」という意味♪
タイ北部ランナー地方の芸能を親しみやすい形で紹介するため、近しい根っこを感じる仙台の表現者たちと結成しました。
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これまで僕は住む場所や環境、条件がさまざま変化していくことを考えると自分がピン芸人として成長することが大事と考え、パフォーマンス内容やお仕事もそれを前提に思考してきましたが、協力応援してくださる方もあらわれて「えいや!」と結成したのがアロム・ランナーです。
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これによってタイ文化、芸能の紹介がより豊かな表現内容でお届けできるようになりました!

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嬉しかったのは、福島県でご縁のあった高齢者施設、幼稚園、保育所、児童館をパフォーマンスして回るツアーを初めて自分で組み、アロム・ランナーとして成功できたことです。
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こうして育児中のタイ舞踊家がちょこちょこ活動を続けられているのは妻の理解と応援はもちろんですが、なにより泊まり込みで息子の世話を見に来てくれる母の存在が大きいです。
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「息子にとってもばーばに可愛がられ甘やかされる体験はいい影響があるだろうし、母にとっても孫と思いきり遊べる機会になってこれはこれで親孝行かもしれない・・・」と甘えることを正当化して毎回お仕事へ旅立つのであります。笑
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今は子育てタイ舞踊家ですが、いずれは子連れタイ舞踊家になるのが夢です。
息子は僕を見て自然と踊りを真似るようになり遊びで上手に剣舞を舞います。
人前で踊るのはまだ抵抗がありますが、もう少し成長したらぜひ一緒に公演に出たいと思います。
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一緒に遊び、学び、体験するなかで僕にとって良いと確信しているものに触れ、彼も遊ぶ中で好きなことを身につけていってほしい。そんな一環としてのタイ芸能活動も親子でしたいと考えています。
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学生時代、タイ留学で舞踊を身につけようと考えたのは「その土地の芸能を習得すれば、どんな場所でも再現できて、自分が生きているかぎり技術も共に生きるってなんだかすごい!」と考えたからでした。
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まだ真っ白で何者でもなかった僕に、師匠は血の通った技術を授けてくれました。

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おかげで様々な地で人と出会い、交流する術としてタイ芸能は僕の身を助けてくれました。僕はこの芸能を未来の人を育てる手段へと昇華していきたいと思います。


プロフィール

土屋悠太郎

Author:土屋悠太郎
◆タイ舞踊家-タイ北部ランナー文化継承-
【ランナー舞踊フォンジューン/剣舞フォンダープ/太鼓演舞グロンサバチャイ、チャイヤモンコン/テーワキンカラ―/ティンボン、モンスーン、チャープ演奏ほか】
タイネーム:Siri Mongkol Skana


1981生、神奈川県出身。京都精華大学卒業。
2002年、タイ・チェンマイに留学した際にPo kruu Mongkol(モンコン師匠)、kruu Peerawat Shiengcharee(ガン先生)に出会い、師事する。
北部タイ・ランナー地方の伝統舞踊フォンジューン、剣舞フォンダープを習得。人間国宝kruu Pan(パン先生)にも指導を受け、現地で多くのショーに出演し、経験を積む。
帰国後、タイフェスティバルやタイ王国総領事館主催パーティー招聘出演など日本国内のショー多数。

大学卒業後、三重県伊賀市で1年間の有機農業研修に従事。田畑を耕し、過疎地域に若者を招いて盛り上げる。その後、東京での俳優活動を経て、障がい者や高齢者と関わる仕事に携わる。利用者さんとの交流を通し、タイ芸能の「人を明るく元気にする力」を確信。2009年以降、毎年タイに渡り修行する。
2012年、師匠からSiri Mongkol Skanaという名前を授かる。
現在は育児のかたわら、東京を拠点に全国各地のイベントやショーに出演、ワークショップを行う。

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2009年4月~6月渡タイ
kruu Saran Suwannachot(ニック先生)、人間国宝のkruu Kam(カム先生)に剣舞フォンダープをご指導いただく。モンコン師匠と7年ぶりの再会を果たす。

2010年4月~5月渡タイ
モンコン師匠のもと2ヶ月間の住み込み修行。ランナー芸能を幅広く学ぶ。太鼓作りの技法も学び、自作のサバチャイ太鼓とモンスーン太鼓を持ち帰る。

2011年3月、仙台在住時に東日本大震災発生。災害ボランティア活動に専念したのち、表現による支援活動を続ける。

2012年4月渡タイ
自身の誕生日に行った儀式ワイクルーにて「Siri Mongkol Skana」のタイネームを師匠より授かる。

2013年、初めての子どもを迎える。

2014年1月渡タイ
モンコン師匠宅で修行。kruu(先生)としての教えを受ける。ワイクルーを行うための特別なpapikaneet(象の顔をした表現の神)像を拝受。

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◆タイ芸能集団アロム・ランナー 主宰
タイで習得した芸能をもとに日本で喜ばれる表現方法を研究、実践する表現集団。タイ芸能ショー、異文化体験ワークショップの他、ハイブリッド紙芝居「とびだす紙芝居!タイのむかしばなし」では芝居、舞踊、楽器演奏をミックスした新しい表現スタイルの作品を上演。タイを身近に感じてもらえるプログラムが好評。(文化庁芸術家派遣事業プログラムとして2012年以降、実施)団体名は、ランナー地方の芸能の魅力が伝わるショーを目指し「ランナー気分」という意。

◆Art Revival Connection TOHOKU(ARC>T)
2011年3月11日の東日本大震災後、東北の舞台人が集まりジャンルを超えて結成した団体。4月設立当初から参加。文化を通して東北の復興を応援する取り組みにタイ芸能を活かした活動を行う。

◆夢トラック劇団~結~
NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが震災直後に主催したプロジェクト。4tトラックの荷台を舞台に、津波で被災した沿岸地域の子どもたちに芝居を届ける。
2011.4/29-5/5岩手~宮城(釜石・山田町・陸前高田・名取・東松島・石巻)全6ステージ。

◆TheatreGroup”OCT/PASS”
Vol.33“Play Kenji”♯6東日本大震災魂鎮め公演『人や銀河や修羅や海胆は』賛助出演。
2011.7/9-7/30宮城県内(大河原えずこホール・仙台錦町公園・瀧澤寺・秋保・古川)全8ステージ。
東北が誇る劇作・演出家、石川裕人を代表とする劇団。前身はアングラ劇団十月劇場。夢トラック出演時、裕人さんに誘われ震災後初の劇団公演参加。

◆絆支援員ワークショップ講師。仮設住宅を巡回する支援員のコミュニケーションワークショップを実施。

◆文化庁 H23-27年度「次代を担う子どもの文化芸術体験事業」[東日本大震災復興支援対応]でさまざまなタイ芸能プログラムを実施。仙台市内・宮城県域の幼児~小学生にショーを届ける。

◆お芝居デリバリーまりまり
さまざまな場所にお芝居を届ける東京の俳優集団。タイの芸能を活かした取り組みも行う。『2009-10福祉職就労支援事業(厚労省委託事業)』『2011-12日本→ブラジルお芝居出前プロジェクト(静岡文化芸術大学・国際交流基金)』浜松公演~2012.8/6-23ブラジルツアー参加。

◆杜の都の演劇祭2012『深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール』プログラムディレクター。タイ芸能ショー含む構成、演出、出演。2013年2月1日(金)-3日(日)全6ステージ@タイ料理店サバイサバイ

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