土屋悠太郎 ~タイ・ランナー舞踊の名刺web~

バンコク在住。タイ北部ランナー地方の芸能を継承する子連れタイ舞踊家のブログ

 
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マハーバーラタ公演の総括④

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今回が昨年出演した「幻祭前夜〜マハーバーラタより〜」最後の総括。
こんなに書いてきても僕にとって有意義で貴重な経験、学びになったことはまだまだある。
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大事なことだけを言葉にして記事にしてきたけれど、本当は些細なことから感じたことの中に僕がずっと求めてた答えがあったのかもしれない。
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↑役のための断髪式。心温まる先輩方の笑顔 
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↑本番前、各自ストレッチや集中を高める時間 
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↑始まった途端、ピリリと


表現は「幸せになるためにするもの」だと今は思うけど、昔の僕は苦しむために表現してたんじゃないか?と思えるくらい表現との距離感や関わり方が掴めていなかった。

大学入学後、成りたい自分になるための術として一念発起で演劇の表現を始めた。(言いたいことを言えるようにとか、思いきり笑えるようにとか(笑)。この時期、日常の自然な表現が苦手になっていた)

3回生の留学時にタイランナー芸能と師匠に出会い、舞踊の表現方法を身につける。

卒業後(友人との表現活動や有機農業研修もあるが省略)、色々あって演技を仕事にする業界へ右も左も分からないまま飛び込んだ。心に無理をして頑張るも正しい努力の仕方も進み方も見えず、また尊敬したり憧れる人との出会いもなく、自分の内面が枯れていくばかりの状況に「この方向性は違うようだ」と道を断った。
そもそも向いてない業界だったとは思うし、運がなかったのは過程を楽しめていなかったからだろう。

夢を捨てると人は真っ白になるもので、しばらく茫然としたまま(非常勤で働いていた)福祉業界でそのまま仕事をしながら徐々に、心身に障害を抱える方々や高齢者やそこで働く方々との交流に癒され、学び、刺激を受けつつ働く意味や表現でやりたかったことをもう一度見つめ直す時間を過ごした。

そして、妻となる当時の彼女が忘れかけていた「タイ再修行の夢」を応援してくれたおかげで今の自分がある。


こんな紆余曲折をしてきた僕が今回出会った舞台マハーバーラタには、まず尊敬する小谷野さんがいた。 
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そして、表現の道を真摯に歩み続けてこられた先輩方に囲まれて、圧倒的な能力と豊かな身体性、思想、魅力に生で触れられる日々を過ごせた。
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昔、喉から手が出るほど求めていた存在、表現、環境がすべてここには在った。
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自身の芸能観にしてもそうで、伝統芸能を身につけてただ演じるだけじゃなく、どう用いて新しい価値を生むか?を考えてきた。その最先端の実践の場であり、それに挑む他ジャンルの諸先輩方の姿は刺激的かつ勉強になった。
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ここは僕にとって、かつて目指した夢の先にいるような現場に他ならなかった。


〜では今後もこの境界線で活動をしていくべきだろうか?〜

これだけのプロフェッショナルな人々を集め、作品を創作し、世界で上演していくことは生半可な覚悟ではできない。
対価として賭けるもの、失うものがあるのは確かで(時間や労力や様々な機会など)、他にも守りたいものができた今の僕にはそう簡単に選べることではない。

きっと夢を追っていた時代にこの公演と出会い同じ経験ができていたら、一途にこの道に全てを賭けて走り続けていたかもしれないと正直思う。
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それだけ僕にとって人生を賭けて表現していくに値する価値がここにはあったから。


ただ、この挑戦ができたのも、自分の気持ちを理解し応援してくれた妻のおかげである。
協力し支えてくれた母の存在も大きい。

それに、この選択には息子が保育園という環境で初めて過ごすという試練もあった。
保育園で息子が病気をもらってきたら、夜も寝ずに看病して改善したら保育園に預けて稽古に行ったことも、妻や母が急遽代わりに看てくれたこともあった。

海外公演期間中には妻が長期休暇をこの時期に合わせて取ってくれたから行けたのも事実だし、東京公演は母が泊まりがけで家に来てくれたりと、書けば書くほど、まぎれもなく家族の協力なしにはあり得ない挑戦だった。

舞台に全てを賭けるか、協力し支えてくれる者があってこそ実現できる舞台。
そんな覚悟なくして表現できない世界や人の輝きが発現される舞台。
誰にでも出来ることじゃなく、かつ選ばれた者しか立てない厳しい舞台。

だから尊いし、その表現に大きな価値があることを今は理解できる。
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だけど、表現を志す全ての人がそこを目指すことはないとも僕は思う。今回の自分のように、家族を持ちながらこんな大舞台に参加するチャンスを得られる人というのは極めて稀だろうからだ。

僕はタイランナー芸能をもとに活動してく上では、今後も自分が生きる上で大切にしたいことをテーマに活動し、そこに共感していただける方々と、その人たちの暮らしの条件のもとで表現する術を模索、実践していきたい。
その楽しさと充実感も僕は大好きだし、幸せになるための表現はそこに眠っているとも感じている。

総じて「自分の幸せとは何か?を見つめ、その時できるやり方でまっすぐ追い求めることが僕にとって表現する目的であり、それによって成長してくのが尊く、望ましいこと」というのが今の答えだ。
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まとめると、過去に行き場を失くし傷ついたままだった僕の魂が今回の圧倒的な舞台経験によって癒され、浄化され救われたことへの感謝が1つ。 
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ようやく出会えた本物と思える表現者たち(演出家の小池さん、尊敬する小谷野さんはじめ共演者のプロフェッショナルなメンバー)との創作時間と共演の刺激があってこそ、1度は失望した世界の真の魅力や楽しさを知れた感動と喜び。
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もし条件を揃えることができるなら「再びこのような舞台に立ってみたい!」と思える自分が今ここにいることへの率直な驚きを最後に書き記しておきたい。 
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こんな多種多様な想いを抱いたからこそ、2015年の一大チャレンジだったマハーバーラタ公演を総括せず胸の中にしまっておきたかったんだな〜と、ここまで書いてきて理解した自分がいる。
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これにて第4回にわたる『幻祭前夜〜マハーバーラタより』公演の総括を終わります。

明日からマハーバーラタ第3部鑑賞のため息子とインドネシアへ出発!!!
この総括が間に合ってよかった。しっかり見届けてきます!


お付き合いいただき、ありがとうございました〜。 
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土屋悠太郎
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プロフィール

土屋悠太郎

Author:土屋悠太郎
◆タイ舞踊家-タイ北部ランナー文化継承-
【ランナー舞踊フォンジューン/剣舞フォンダープ/太鼓演舞グロンサバチャイ、チャイヤモンコン/テーワキンカラ―/ティンボン、モンスーン、チャープ演奏ほか】
タイネーム:Siri Mongkol Skana


1981生、神奈川県出身。京都精華大学卒業。
2002年、タイ・チェンマイに留学した際にPo kruu Mongkol(モンコン師匠)、kruu Peerawat Shiengcharee(ガン先生)に出会い、師事する。
北部タイ・ランナー地方の伝統舞踊フォンジューン、剣舞フォンダープを習得。人間国宝kruu Pan(パン先生)にも指導を受け、現地で多くのショーに出演し、経験を積む。
帰国後、タイフェスティバルやタイ王国総領事館主催パーティー招聘出演など日本国内のショー多数。

大学卒業後、三重県伊賀市で1年間の有機農業研修に従事。田畑を耕し、過疎地域に若者を招いて盛り上げる。その後、東京での俳優活動を経て、障がい者や高齢者と関わる仕事に携わる。利用者さんとの交流を通し、タイ芸能の「人を明るく元気にする力」を確信。2009年以降、毎年タイに渡り修行する。
2012年、師匠からSiri Mongkol Skanaという名前を授かる。

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2009年4月~6月渡タイ
kruu Saran Suwannachot(ニック先生)、人間国宝のkruu Kam(カム先生)に剣舞フォンダープをご指導いただく。モンコン師匠と7年ぶりの再会を果たす。

2010年4月~5月渡タイ
モンコン師匠のもと2ヶ月間の住み込み修行。ランナー芸能を幅広く学ぶ。太鼓作りの技法も学び、自作のサバチャイ太鼓とモンスーン太鼓を持ち帰る。

2011年3月、仙台在住時に東日本大震災発生。災害ボランティア活動に専念したのち、表現による支援活動を続ける。

2012年4月渡タイ
自身の誕生日に行った儀式ワイクルーにて「Siri Mongkol Skana」のタイネームを師匠より授かる。

2013年、初めての子どもを迎える。

2014年1月渡タイ
モンコン師匠宅で修行。kruu(先生)としての教えを受ける。ワイクルーを行うための特別なpapikaneet(象の顔をした表現の神)像を拝受。

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◆タイ芸能集団アロム・ランナー 主宰
タイで習得した芸能をもとに日本で喜ばれる表現方法を研究、実践する表現集団。タイ芸能ショー、異文化体験ワークショップの他、ハイブリッド紙芝居「とびだす紙芝居!タイのむかしばなし」では芝居、舞踊、楽器演奏をミックスした新しい表現スタイルの作品を上演。タイを身近に感じてもらえるプログラムが好評。(文化庁芸術家派遣事業プログラムとして2012年以降、実施)団体名は、ランナー地方の芸能の魅力が伝わるショーを目指し「ランナー気分」という意。

◆Art Revival Connection TOHOKU(ARC>T)
2011年3月11日の東日本大震災後、東北の舞台人が集まりジャンルを超えて結成した団体。4月設立当初から参加。文化を通して東北の復興を応援する取り組みにタイ芸能を活かした活動を行う。

◆夢トラック劇団~結~
NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが震災直後に主催したプロジェクト。4tトラックの荷台を舞台に、津波で被災した沿岸地域の子どもたちに芝居を届ける。
2011.4/29-5/5岩手~宮城(釜石・山田町・陸前高田・名取・東松島・石巻)全6ステージ。

◆TheatreGroup”OCT/PASS”
Vol.33“Play Kenji”♯6東日本大震災魂鎮め公演『人や銀河や修羅や海胆は』賛助出演。
2011.7/9-7/30宮城県内(大河原えずこホール・仙台錦町公園・瀧澤寺・秋保・古川)全8ステージ。
東北が誇る劇作・演出家、石川裕人を代表とする劇団。前身はアングラ劇団十月劇場。夢トラック出演時、裕人さんに誘われ震災後初の劇団公演参加。

◆絆支援員ワークショップ講師。仮設住宅を巡回する支援員のコミュニケーションワークショップを実施。

◆文化庁 H23-27年度「次代を担う子どもの文化芸術体験事業」[東日本大震災復興支援対応]でさまざまなタイ芸能プログラムを実施。仙台市内・宮城県域の幼児~小学生にショーを届ける。

◆お芝居デリバリーまりまり
さまざまな場所にお芝居を届ける東京の俳優集団。タイの芸能を活かした取り組みも行う。『2009-10福祉職就労支援事業(厚労省委託事業)』『2011-12日本→ブラジルお芝居出前プロジェクト(静岡文化芸術大学・国際交流基金)』浜松公演~2012.8/6-23ブラジルツアー参加。

◆杜の都の演劇祭2012『深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール』プログラムディレクター。タイ芸能ショー含む構成、演出、出演。2013年2月1日(金)-3日(日)全6ステージ@タイ料理店サバイサバイ

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